光に透けるユリノキの葉
Liriodendron tulipifera

ユリノキ(ハンテンボク)とは

葉のかたちが半纏(はんてん)に似ていることから、ハンテンボク。 街路樹として親しまれてきたこの木には、林業の世界ではまだあまり知られていない一面があります。

半纏に似た独特の形をしたユリノキの葉
Basic Data

基本のプロフィール

学名Liriodendron tulipifera
分類モクレン科ユリノキ属
別名ハンテンボク、チューリップツリー、ヤッコダコノキ
原産北アメリカ東部(明治のはじめに日本へ渡来)
樹形通直・単幹で、高く大きく育つ落葉高木
花5〜6月ごろ、チューリップ型の淡い黄緑色の花。花被の基部にオレンジ色の斑紋が入る
樹皮暗褐色。縦に細かな割れ目が入る
紅葉秋に鮮やかな黄金色
花言葉見事な美しさ/幸福/田園の幸福
花をつけたユリノキの樹冠を見上げる
Fast & Straight

まっすぐ、高く、早く。

ユリノキは、幹がまっすぐ一本に伸びる「通直・単幹」の木です。 若いうちの成長がとても早く、大きく育ちます。 街路樹に選ばれてきた理由は、そのままこの木を山に植える理由にもなります。

As a Fast-growing Tree

早生広葉樹としてのユリノキ

日本の造林は、長らくスギ・カラマツなどの針葉樹が中心でした。 収穫までに50年以上かかるという事情が、林業経営を難しくしてきた一因でもあります。 「早く育ち、使える材になる広葉樹」は、そこに新しい選択肢を加えてくれます。

強み

  • 短伐期・低コスト/成長が早く、植栽から20年ほどでの収穫が見込めます
  • 通直・大径で加工しやすい/合板・内装材・家具材など、幅広い用途に向きます
  • 蜜がよく出る/蜜の分泌が多く、おいしい蜂蜜が採れる木として知られています
  • 炭素の固定/成長が早いぶん短期間に多くの炭素を蓄えます。J-クレジット(森林吸収)の対象にもなりえます
  • 樹種の多様化/針葉樹一辺倒からの転換や、生物多様性への貢献が期待できます
  • 萌芽更新力が旺盛/伐採後の天然更新が容易であることが確認されています

課題

  • 更新が難しい/挿し木・接木がほとんどできず、移植も簡単ではありません
  • 種苗の制約/自家不和合性による結実不良と、発芽率の低さがあります
  • 適地が限られる/日当たりと排水がよく、風の当たりにくい場所を選ぶ必要があります
  • 寒冷地でのデータ不足/北東北における造林・育林の知見が、まだ体系化されていません
  • 生態系への影響/北米原産のため、周辺の森林への広がり方についての検証が続いています
  • 制度上の位置づけ/多くの県で、造林補助対象樹種としての明確な位置づけがありません

こうした課題は、盛岡で少しずつ解いていけるものだと考えています。 種子の確保と発芽率の向上、寒冷地での成長データの蓄積、食害対策の確立、周辺への影響の見きわめ。 ひとつずつ実証を重ねて、造林樹種としての指定に必要な材料を揃えていきます。

Seven Uses

7つの活用領域

ユリノキの価値は、木材だけではありません。蜜源、炭素、生物多様性、景観。 森林を多面的に活かす時代にふさわしい、幅の広さを持っています。

木としての使いみちは、建材から楽器の鍵盤材、文具にまでおよびます。 散孔材で通直・緻密、加工性がよいという性質が、その幅を支えています。

静岡県立農林大学校が57年生のユリノキ材を試験したところ、2年間の天然乾燥ののち、 動的ヤング係数は平均10.8GPa(JAS表示等級E110相当)で、実用可能な材料と評価されています。 一方で、乾燥にともなうねじれ(平均9.8mm)は今後の課題とされています。

まっすぐに伸びるユリノキの幹
# 活用領域 概要・ポイント 実用化の段階 日本・岩手との関連
① 木材・建材利用 合板・内装材・フローリング・楽器(鍵盤材)・小物・文具・家具など多用途。散孔材で通直・緻密、加工性がよい。 実用(大分等)/国内研究中 森林総合研究所の紹介あり。大分県日田市で植栽・利用の実績。
② 養蜂・はちみつ 蜜の分泌が多く、おいしい蜂蜜が採れる木として知られる。1花4日間で最高226.5mgという測定記録もある。 実用/ブランド化の余地 岩手大学滝沢演習林で国内初の花蜜分析。岩手県の養蜂関係者から「黄金の花」と称された。
③ 炭素固定・環境価値 成長が早いぶん、短期間に多くの炭素を固定できる。J-クレジット(森林吸収)やTNFD等の枠組みで価値化しうる。 制度整備済/適用可能 森林由来クレジットの創出と親和性が高い。
④ 生物多様性・生態系 広葉樹の導入による樹種の多様化。30by30目標・OECM(民間保護地域)の候補林分としても評価しうる。ただし北米原産のため、周辺森林への広がり方の検証は必要。 可能性あり/検証中 ネイチャーポジティブ関連の取り組みと接続できる。
⑤ 景観・緑化(街路樹・公園樹) 整った樹形と病害虫への強さから、全国の街路樹に約10万本(高木17位)。初夏の花と秋の黄葉が美しい。 実用(全国) 地域別では関東6位・東北7位。岩手大学構内にも由緒ある並木がある。
⑥ 薬用・生化学 心材に抗菌性のアルカロイドを含み、黄色ブドウ球菌・カンジダ等への抗菌活性が報告されている。 学術研究段階 —
⑦ 食品・その他 北米では根を伝統的な発酵飲料の風味付けに用いた例がある。糖分の多い樹液の応用可能性。きのこ原木(ナメコ等)としての利用も。 伝統的実用(北米)/可能性段階 きのこ原木としての利用は大分県で報告例あり。

出典:国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所「自然探訪 2020年12月」、 国土技術政策総合研究所資料 第1246号「わが国の街路樹Ⅸ」(令和4年3月31日現在)、 静岡県立農林大学校 河合誉士「早生候補樹種ユリノキの材質・加工特性」(関東森林管理局 森林・林業技術交流発表集)、 毛藤勤治『ユリノキという木』アボック社(1989年/産蜜量は元農林水産省畜産試験場・中野茂氏の測定として紹介されているもの)ほか。 実用化の段階は、地域・年次・施業設計によって変わります。

A Story of Morioka

ユリノキと盛岡・岩手

明治期に日本へ渡ってきた「新しい木」。 ところがこの木は、新渡戸稲造・宮部金吾・宮沢賢治といった盛岡・岩手ゆかりの人物や、 日本初の高等農林学校の歴史と、思いのほか深く結びついています。 そしてこの木を生涯かけて増やし続けた人も、盛岡から出ています。

「償いの木」として — 毛藤勤治博士

盛岡のユリノキを語るうえで、どうしても外せない人がいます。 盛岡市に生まれた農学博士、毛藤勤治(もうとう きんじ)です。 宮沢賢治の母校でもある盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業し、 岩手県の職員として畜産・農政の道を歩みました。

転機になったのは、昭和30年代の全県酪農政策です。 乳牛の餌をつくる牧野を広げるため、県内のおよそ1万7千ヘクタールの自然林の伐採にたずさわりました。 そのことが長く胸に残り、「なんとかこれを償わなければ」という思いから選んだのが、ユリノキでした。 自著『ユリノキという木』のあとがきに、こう記しています。 盛岡の人びとから「宮沢賢治の母校並木」と呼ばれ親しまれていた岩手大学旧正門前のユリノキ並木と、 市内に点在する同世代のユリノキの大木に縁を感じ、償いの木はこれにしよう、とひとりで決めた——と。

発芽しにくいユリノキの種子と何年も向き合いながら、一万一千本あまりの実生苗を育てました。 昭和53年(1978年)には岩手県教育委員会を通じて県内の学校へ苗木を寄贈し、 昭和54年(1979年)には岩手緑化研究会を結成して会長を務めています。 こうした研究と普及の積み重ねにより、平成7年(1995年)、 緑化推進運動功労者として内閣総理大臣表彰を受けました。

平成元年(1989年)に刊行された『ユリノキという木 — 魅せられた樹の博物誌』は、 化石時代から北米の原産地、日本への渡来の経緯、そして栽培のしかたまでを一冊にまとめた、 ユリノキだけを扱う稀有な博物誌です。全国の植栽地のリストも収められています。 いま私たちが手にしているユリノキの知見の多くは、この一冊に負っています。

この会が引き受けようとしているのは、毛藤博士が始めた仕事の続きでもあります。 街に増やすところまでは、多くの先人が手をかけてきました。 わたしたちは、そこから一歩進めて「山に植える木」にするための材料を揃えていきます。

「宮沢賢治の母校並木」のこと

岩手大学の旧正門前には、かつて樹高25メートルほどのユリノキ並木がありました。 市民から「宮沢賢治の母校並木」と呼ばれ、盛岡随一の並木として親しまれた道です。 盛岡のユリノキは、大正の中頃に盛岡高等農林学校林科の小泉多三郎助教授(のちの盛岡市長)が 育てた苗木にはじまると伝えられます。

この並木は、昭和56年(1981年)8月の台風15号で1本が倒れたことをきっかけに、 旧正門ぎわの1本を残して伐採されました。根元の直径が130センチを超える木もあったといいます。 その出来事も、毛藤博士がユリノキの記録を一冊にまとめる後押しになりました。

ビクトリアロードの並木 — 新渡戸稲造の縁

盛岡城跡公園(岩手公園)の中津川沿いには、「ビクトリアロード」と呼ばれる小道があります。 盛岡出身の国際人・新渡戸稲造にゆかりの深いカナダ・ビクトリア市と、盛岡市の姉妹都市提携にちなんで名づけられた道です。 盛岡市の資料によれば、この道沿いには巨木となった37本のユリノキが立ち並び、年月を感じさせる存在感を放っています。

新渡戸稲造(1862–1933)は盛岡藩士の三男として生まれ、国際連盟事務次長を務めました。 1933年、カナダでの会議のあとビクトリア市で客死しています。 この縁から、昭和60年(1985年)に盛岡市とビクトリア市は姉妹都市となりました。 生誕の地・盛岡と、終焉の地・ビクトリア。その絆を象徴する道に、北米原産のユリノキが並んでいます。

「農学」でつながる人脈 — 宮部金吾と宮沢賢治

ユリノキは、農学・植物学の学校に好んで植えられてきた木でもあります。 植物学者・宮部金吾は札幌農学校の二期生として新渡戸稲造・内村鑑三とともに学び、「三秀才」と呼ばれた生涯の友でした。 宮部は北海道大学植物園の生みの親・初代園長として知られ、日本で最も古いユリノキの一つは、 彼が留学先のハーバード大学から持ち帰った種子に由来するとも伝えられます。

一方、盛岡には明治35年(1902年)に、日本初の官立高等農林学校として盛岡高等農林学校が創設されました(現・岩手大学農学部)。 宮沢賢治は大正4年(1915年)にこの学校へ首席で入学し、農芸化学を学んでいます。 札幌農学校から新渡戸・宮部へ、そして盛岡高等農林学校から宮沢賢治へ。 二重の「農学の糸」が、盛岡・岩手とユリノキを結んでいます。

近代都市づくりと街路樹文化

ユリノキが日本に渡来したのは明治のはじめ。新宿御苑(旧・内藤新宿試験場)に初めて植えられたと伝わります。 明治40年(1907年)には街路樹用に御苑のユリノキの種子が払い下げられ、全国の街路樹へと広がっていきました。 生長が早く、樹形が整い、黄金色の黄葉が美しい。近代都市の街路樹にふさわしい木として、各地で植えられていったのです。

現在、ユリノキは全国の街路樹として約10万本が植えられ、地域別では関東(52,645本)、東北(11,171本)に多く見られます。 盛岡でも、ビクトリアロードをはじめ、まとまった並木が市内の風景をつくっています。

観点ユリノキと盛岡・岩手のつながり
場所盛岡城跡公園(岩手公園)中津川沿いの「ビクトリアロード」に、37本の巨木の並木
人物①新渡戸稲造(盛岡生誕、ビクトリア客死)— 姉妹都市の縁、ビクトリアロードの由来
人物②宮部金吾(新渡戸の親友、北大植物園初代園長)— 日本最古級のユリノキの育成に関わったと伝わる
人物③宮沢賢治(盛岡高等農林学校=現・岩手大学農学部に学ぶ)— 農学都市とユリノキの親和性
人物④毛藤勤治(盛岡生まれ・農学博士)— 一万一千本余の苗木を育て、県内に広めた。『ユリノキという木』の著者
並木岩手大学旧正門前の「宮沢賢治の母校並木」。大正中頃の小泉多三郎の苗木にはじまると伝わる
近代化明治の街路樹文化。東北の街路樹ユリノキは11,171本(令和4年3月末時点)
自然の恵み蜜がよく出る木。「ハンテンボクのはちみつ」など、養蜂・地域ブランドへの可能性

※ 一部の伝承(宮部金吾とユリノキの種子の来歴、ビクトリアロードの命名の経緯、盛岡のユリノキの由来など)には諸説があります。 主な参照先:林野庁「平成7年 緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰 受賞者名簿」、 毛藤勤治『ユリノキという木 — 魅せられた樹の博物誌』アボック社出版局(1989年)、 『田園都市の緑化』岩手県緑化推進委員会盛岡地区協議会(1988年)、 盛岡市「史跡盛岡城跡 保存管理計画」関連資料、盛岡市「姉妹都市ビクトリア市」、 国土技術政策総合研究所資料 第1246号「わが国の街路樹Ⅸ」、新宿御苑(一般財団法人国民公園協会)、 北海道大学総合博物館、岩手大学農学部附属農業教育資料館 ほか。

この木の可能性を、盛岡の山へ。

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